私たちの想い
下野 麦焼酎を作るきっかけ
いまから5年前、国分寺小売酒販組合の代表に就任することになり、
右も左もわからない自分がいました。
酒業界も低迷時期でコンビ二、大型スーパー・ディスカウントショップ等あらゆる方面でお酒の販売を始めていて、町の酒屋は小さくなりながら細々と商売している時期で、代表は引き受けたくなかったんですが、皆自分より年配の方ばかり。
とにかくやるしかないなと言い聞かせ引き受けました。
そんな折、ちまたでは道の駅、ご当地ブームの最盛期状態で自分も下野市にも出来ればいいなと常々思っていました。
ビックニュースが飛び込んできたのは、そんな時。
この下野市にも道の駅の計画が持ち上がったと言うのです。
出店募集の説明会の話があると聞きつけ、なんか自分たちもやりたい!
ただ何をするかはさて置き道の駅出店説明会に赴き申し込んできました。
話を聞くと、「地産地消」の売り文句が日本全国道の駅の基本方針との事。
地元の食材を使ったオリジナル商品で何が出来るかなと町の周りを見渡すと、
田んぼと畑ばかり。
野菜作りやお米、麦など酒屋には縁遠いものなので、お酒を作る蔵元も地元にはなく、落胆していました。
組合長に就任して最初の大試練
正直これは大変だなと気付いた時にしもつけ道の駅の方から合格、出店許可審査が通りました。
ある意味うれしいのと、どうする何の品物を出すかの、複雑な気持ちでした。
組合長に就任して最初の大試練が訪れ後には引き返せなく、まず最初に取り掛かったことは蔵元探しでした。
いつも来る問屋のセールスマンに焼酎作る蔵元ないか話してみると、栃木県内の2件を紹介してもらました。
そのうち1件は手広くオリジナル商品を作るみたいでとりあえず電話してみました。
この蔵元がのちにお付き合いさせてもらう烏山市の白相酒造です。
社長さんと電話が繋がり、お話させて頂いて事情を話したところ、
下野市の事をご存知の様で、
「広大な土地にあんなにたくさん麦があるじゃないですかと、それらを使用して麦焼酎を作るの面白いじゃないですかね!麦調達をやってくだされば作ってもいいですよ!」と、優しく引き受けてくださいました。
よ〜しオリジナル麦焼酎でいくか〜。心は決まりました。
そんな時道の駅出店許可がおりまして忙しい日々が2年つづきます。
蔵元が地元にないので栃木県内になるが、原料の二条大麦は下野産にこだわり、JA農協に掛け合い譲っていただきました。
ネーミング決めは下野の広報に頼み募集しハガキで募ったところ、まずまずの枚数が届き国分寺小売酒組合の会員で決めました。
厳選して悩みまして、3町合併したばかりで広く下野市を知ってもらう思いも込めましてハガキの中に「下野」がありましたからそれに決定しました。
ちなみに「下野」と争ったネーミングが「黄金の一滴」です。
書体も市内在住の書道家さんに書いてもらいました。
瓶6〜7本の中から選び自分たちで選びました。
麦焼酎を作るにあたりベースとなる焼酎の酵母、味、香り、等ここが一番重要で、下野産麦(たりゅうおおむぎ)に合うのはどれがいいかなと思案し、これから一生ともなるところで先々の事も考えて少し若くて味見した時香りが先に来る奴に決め、
瓶の裏ラベルに書いてあると思うのですが東京農大短期大学部醸造学科酒類研分離株使用(花酵母仕込み)を使って作りました。
しもつけ道の駅オープン
平成23年4月に栃木県で18番目の道の駅オープンし下野麦焼酎もコンスタントに売れて25種類の酒類を置かしてもらうなかで1番売れています。
お客さんの反応見ると下野市に寄った方がお土産で購入されているみたいで当たり前だと思いますが市の名前(下野)が入っているのが功をそうしたみたいで、小売組合さんの思いがかなう形で知名度アップに貢献できたなと嬉しくなりました。
しもつけブランド認定
ご当地ブランドをこの下野市も作ろうと選定が始まり、日本全国にアピール宣伝目的にやる事になりまして、この下野麦焼酎も応募しようと書類を送りました。
第1回目なので募集が予想以上に集まりレセプションを行うみたいで、10の枠しかなく、とりあえずやるしかないので代表の自分が行くことになりました。
20名ほどの人の前で行うみたいで、(偉いお方さん)緊張しましたが、麦焼酎を作るまでの過程やこの商品の思い入れ、何より下野市がこの日本全国に知れわたる事など、なんとか無事行いました。
まずまずの感触で手応えはありました。
2週間後知らせがきまして、ブランド認定を受けました。
これから・・・
発売から3年経ちます。味は本当においしさが何て表現したらいいか?
出来上がり当初は本当にまだ赤ちゃんみたいで寝かせて寝かせて段々と大きく(旨み)なる麦焼酎です。
ぜひこの機会に一度ご賞味いただければ幸いです。